2023年9月10日日曜日

心理療法における社会的側面の大切さ

本日はオンライン勉強会の日でした



毎回、とても勉強になり、有り難く参加させていただいていますが、


本日の内容は、私の心にいつもモヤモヤと引っ掛かりながらも、言葉にできないでいた内容でした



ご登壇いただいたのは、京都大学教授で、統合的な心理療法を志向されている、とても広い視点を持たれている杉原保史先生



内容にかなり共感しながら、大きく首を縦にふる思いで聞いていました



心理臨床を考えるとき、
心理学要因、生物学的要因、社会的要因がいづれも大切といわれながら、


現実は、社会的要因(環境や文化、経済など)が単なる知識だけのおまけ?やおかざり?になっている現実があることを、おっしゃられていて、


実際私自身も心と体に関しては扱いやすいものの、



社会的な面に関しては、個人でだけでは踏み込めない、対峙できない分厚い高い壁のように感じていました




また、これまで私の中に『政治』に関われるのは、せいぜい選挙にいき、投票するくらいの関わりのイメージでしたが、



心理学を語るとき政治と切り離せない、とおっしゃられておられました



確かに、虐待の問題にしても、せっかく児相に通報されていながら、法的な強制力の関係などで、壁の内側に踏み込めず、


結局、幼い命が助けられない、残念なニュースが後をたちません



確かにそういったことは政治とは切り離せない問題だと感じています




驚いたのは、かなり昔から、世界にはこういったことを言っている心理療法家が複数存在していた、ということ👀



過去、海外の心理学者が、社会的側面を扱う必要について強く触れることで、少数派の意見として、迫害されたり、孤立したりすることもあったとかなかったとか



よっぽど勇気がないと、保守的な考え方、長いものにまかれるように多数派には抗えないのは、
いつの時代でもどこの国でも同じなのでしょう



私自身、社会活動家になるつもりなんて全くないですが、


カウンセリングで出会う、弱い立場の人の味方になろうと思ったら、
社会的側面の問題とは切っても切り離せないと思います



例えばいじめ問題の場合、
カウンセリングルームの中だけで、問題を本人の認知の歪みのみにして、外側(社会)は一切変えようとせず、

本人のみをなんとか変化させようとするだけの対応では全く不十分、
というお話にとても共感できました






ミクロ(個人)視点、メゾ(家族、組織)視点、マクロ(社会的)視点、どちらかに両極端に偏ることなく、必要なときには、どちらにでも焦点を合わせて見れるような柔軟性持って、 

これからも問題に取り組んでいかないといけないと、改めて思いました。
それにはまだまだ私には知識も技術も行動力も足りないなぁと反省、振り返りました



また、とても驚いたのは、『ハラスメントと個人のカウンセリングは対極にあるもの』というお話で、
『対極にあるようで、実はメビウスの輪のようにひと続きになっている』という内容でしたが、


これについては、すでに私が働いている企業では、カウンセリングルームにきたわずかなケースの場合ですが連携を取ることで、きちんとした倫理的な対応や改善を被害を受けられた方にしてくださっているので、素晴らしい!

と改めて、自分が良い職場環境で働かせていただいていることを認識できました😊





『アドボカシー』と言う言葉も、聞いたことがあったくらいでしたが、
とても大切なことだと思いましたが、



同時に踏み込み過ぎない、バランス感覚も見失わないようにしないと、思いました




深い深い内容で、私自身が、消化吸収するのには、まだまだ時間もかかりそうですが


腑におちてスッキリとした気持ちや、
込み上げてくる不思議な気持ちを味わった一方で、
苦笑いもあり、
とても充実した内容だった本日のお話でした💡




感謝🍀



通りすがりの息子に寝ていたところを、当然ひっくり返され、かたまっているミーちゃん(笑)





0 件のコメント:

コメントを投稿